娘が学校に行けなくなってから、中2の夏ごろまでの様子を、少し書いてみようと思います。
不登校が始まった頃、娘はとにかくイライラしがちでした。
「テレビの音が大きい!」
「味噌汁すすらないで💢」
こんなふうに、ちょっとした音にも敏感でピリピリ。
学校でも授業中のざわつきが気になったり、コロナ禍で“黙食”が求められていた頃には、みんなが食べる咀嚼音がすごく気になるようになってしまったみたいです。
日本では普通とされる、味噌汁を飲む音や、そば・うどんをすする音もダメになってしまって…。
そのうち、ご飯は自分の部屋で食べるようになりました。
私が話しかけても
私 「おはよう」
娘 「無理」
……こんな感じで、会話がすぐ終了
2歳のイヤイヤ期も癇癪全開ですごかったけど、
「反抗期って、これまたすごいなぁ…」と、ちょっとだけ感心してしまうこともありました。
でも、何を話してもこんな調子だと、こちらもついイライラ。
「どうして学校に行けないの?」と焦る気持ちもあって、ピリピリが伝染し、大げんかになったことも何度もありました。
少し時間が経つと、私のほうもいろいろ調べたりして、気持ちが落ち着いてきました。
「もう少し見守ってみよう」
と思えるようになったら、不思議と私自身のイライラも減っていきました。
でも、そこに辿りつくまでが長くて、本当にしんどかったです。
私が落ち着いた後も、娘は1年くらい“トゲトゲモード”で部屋にこもる日が続きました。
それでも、そっと見守りつつ必要なときだけ声をかけるようにしているうちに…
反抗期が抜けたのか、成長したのか、何がよかったのかは正直わからないけれど、
少しずつ落ち着いて話せる日が増えていきました。
今日はこのくらいにして、次回は「私が不登校に対して安心するためにやってみたこと」を書こうと思います。
読んでくれてありがとう。
また遊びに来てくださいね
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