クラスでも友達が多かったり、しっかりしているほうで勉強も好きだったのに・・・子どもが学校に行かないことが日常になる日が来るなんて全く考えていませんでした。他の子と同じように毎日学校にかよって小中高大と進んでいくんだろうなと当たり前に考えていたのですが、人生はちょっぴりハードモードだったようです。
今回は、娘の不登校のはじまりを振り返ってみたいと思います。
行き渋りの小6時代
離婚、引っ越し、転校した後にコロナ禍。入ったクラスはちょっぴり崩壊気味で、授業中も騒ぐ子が多く、担任ともいまいち相性が合わない…。いろいろなことが重なり、小6の時点で休みがちだった娘。
年明けには
「このまま学区の中学に上がっていいのだろうか…」
と心配になったものの、急に中学を変えるにも相談先がわからず。娘も他の中学に行くことには乗り気ではなかったので、そのまま学区の中学に進学することに。
きっと中学に行けば、新しい友だちができて、担任やクラスの雰囲気も変わるはず。
制服も着てみたら気分が上がるかも…なんて、少し軽く考えていました。
やっぱり無理だった中学
そんな淡い期待(?)を胸に入学式を迎え、学校に通い出した娘ですが…。4月末の授業参観前から、

頭痛い。学校行くの無理・・・
と休むことが増えてきました。
「朝起きるのが大変なのかな?」「何か病気…?」
とも思いましたが、反抗期なのか、こちらが声をかけると過敏に反応して怒りをぶつけてきたり、何を話しても「無理」としか言わず、受診もできず…。
いろいろな音にも敏感になった娘は、1人で食事をとったり、部屋にこもって過ごすことが増えていきました。
休みが1週間、2週間…と増えていくうちに
「これは本格的な不登校になるやつ…?」
「短期間では回復しないかも」
「千葉県の受験は1年生から内申しっかり必要なのに…やばくない?」
「なんでみんなと同じように学校に通えないの…?」
と、頭の中でいろいろな考えがぐるぐるして気が休まらず、自分もイライラしてしまう日が続きました。
少しずつ見えてきた光
こんな状態から始まった不登校。時々行くこともあったけれど、「少し行く → 長く休む」 を繰り返し、中学生活はほとんど学校に通わずに終わりました。
ありがたいことに、そんな娘も今は高校生になっています!
娘の不登校の時期にどんなことをしていたか。
成功したことも失敗したことも色々あったので、また少しずつ書いていきたいと思います。
読んでくれてありがとう。
また読みに来てくださいね!
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